シドニー・ルメット特集ではないがたまたま観たビデオが全てそうなってしまった。

デストラップ~死の罠~ [DVD]

デストラップ~死の罠~ [DVD]





シドニー・ルメット1924年6 月25日にペンシルベニア州フィラデルフィアで生まれた。彼の両親はポーランドユダヤ人で、イディッシュ劇場の演劇人だった。幼少の頃一家でニューヨークに移り住み、以後そこを拠点にすることになる。

ルメットは4歳で子役としてラジオドラマに出演。5歳でイディッシュ芸術劇場の舞台を踏み、10代から子役としてブロードウェイの舞台に立った。1939年には映画にも出演している。1942年にコロンビア大学に入学するが、同時に陸軍に入隊し第二次世界大戦に従軍した。終戦後はオフ・ブロードウェイでイーライ・ウォラックユル・ブリンナーたちと俳優グループを結成。このグループはのちにアクターズ・スタジオの母胎となったという。

俳優活動に飽きたらなくなったルメットは、1950年代に演出家に転向する。CBSで黎明期のテレビドラマの制作に手腕を発揮し、売れっ子演出家となった。この頃のルメットは5年間に約500本の作品を演出したという。テレビ局を辞めたあと、1957年に初の劇場映画『十二人の怒れる男』の監督を務める。ルメットはこの作品でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞、一躍人気監督の仲間入りを果たす。

1960年代のルメットは『夜への長い旅路』(1962年)や『質屋』(1964年)など、主に文芸作品の映画化で力を発揮した。『未知への飛行』(1964年)は冷戦時代に於ける核戦争の危機の本質を鋭く描いた作品である。1970年代には『セルピコ』(1973年)、『オリエント急行殺人事件』(1974年)、『狼たちの午後』(1975年)、『ネットワーク』(1976年)と次々に話題作を発表、名実共にアメリカ映画界を代表する巨匠となる。

ルメットは1980年代も精力的に映画を製作するが、1990年代においてはやや精彩を欠いた。特に『グロリア』(1999年)は主演女優のシャロン・ストーンゴールデンラズベリー賞にノミネートされるなど駄作の烙印を押され、ルメット自身も終わった監督だと見なされる。しかし最新作の『その土曜日、7時58分』(2007年)では往年の緊張感溢れる演出が復活、批評家たちからも傑作と評価されルメット健在を印象付けた。

ルメットはこれまでにアカデミー監督賞に4度、英国アカデミー賞監督賞に3度、カンヌ国際映画祭パルム・ドールに4度ノミネートされたが、いずれも受賞には至っていない。しかし2005年にはその生涯における業績を評価され、アカデミー名誉賞を贈られた。