先日読んだ西澤さんの本に度々登場した渉成園、別名枳殻邸。ここならそんなに混んでいないだろうということで訪ねてみた。東本願寺ということなのでよく間違えられるが、この渉成園烏丸通りの反対側。正面通りを東に入ったところにある。500円以上の協力寄付金を払うと立派なガイドブックがもらえる。いよいよ渉成園の門をくぐり先ず目に飛び込んでくるのが高石垣。「承応2年(1653年)、石川丈山によって書院式の回遊庭園として作庭される。」とあるがこれもそうなのだろうか。こんなに美しい石垣をあまり知らない。ひょっとしたら日本人のデザインセンスは段々衰退してきたのではないだろうか。わくわくするようなアプローチを進んでいく。













最初の建物は臨池亭と滴翠軒。写真左手前が臨池亭、正面が滴翠軒。ただし、建物内部にはすべて立ち入り禁止。




順番としては最後の方になるが西澤さんの本にも紹介されている漱枕居。




二つの間の間にも仕切りの建具がない。内法まで小壁を下げるだけで2室であることが表示されている。水屋封な装棚と奥の部屋との間にのみ、1本引きの明障子がある。
畳と床と土間と庭が、敷居という結界ももたず連なっていく状況がわかる。外とも内ともつかぬこの陰翳深い空間こそ、外部と内部を繋ぐ日本的処理といえよう。各種の遮りが、重層することによってつくり出された微妙極まりない空間である。

中に入れないので想像するしかない。



透ける (西沢文隆の仕事)

透ける (西沢文隆の仕事)


「透かす」とは、隙間を開けることからきた言葉ではないかと私は考えている。


縮遠亭。



給仕口の太鼓張り紙が厚くなく、わずかに向こうの光をうかがわせる。一般にはもう少し厚い紙を使っているが、向こうが感じられる点では、このほうが透けた襖といえよう。



縮遠亭の続き






二階建ての茶室「蘆庵」。ガイドブックによると階下は七畳で、西側に床をかまえ、二方に縁がつき、階上は主室四畳半に台目三畳の次の間を付しているとのこと。





傍花閣。






侵雪橋





回棹廊











閬風亭





杉皮葺きに竹押えの中門