総本家河道屋。

いつ頃からかこの界隈で商いをさせていただいているか、店のほうに享保八年(一七二三年)の時の町内の書き付けが残っております。その時から勘定いたしますと、だいたい三百年弱というところになりますでしょうか。その頃は蕎麦屋ではなく餅菓子屋のようなものを営んでいたようでございます。
元禄の頃は、菓子屋の副業として蕎麦屋も営む所が多く、それが江戸時代中頃から、蕎麦屋蕎麦屋、菓子屋は菓子屋と分かれて発達していったところもございますし、手前どものように、蕎麦屋と菓子屋という古い形態のまま、ずっと今日に至っているという所もあるわけでございます。


「蕎麦ほうる」なのか「蕎麦ぼうろ」なのか
南蛮人から伝わってきた言葉としては「ほうる」でしたので、正しくはと申しますか、うちの商品名としては「蕎麦ほうる」となっております。
ただ、「ぼうろ」とした方が耳に馴染みはよろしいですね。ですからお客さんも「蕎麦ぼうろ」とおっしゃることが多いんですが、その辺はどちらでも結構ですと(笑)。ただ、看板の方は、「蕎麦ほうる」と濁らない書き方をしております。

河道屋HP「十六代当主 植田 貢太郎語る」より