引用
そうした折、盛んに読みあさっていた外国の芸術雑誌の中に、ル・コルビジェの作品と模型写真を見たのである。ソ連政府が国際的に募集した「ソビエト・パレス」に応じたものであったが、それは極めて新鮮で、かつ圧倒的なものであった。
(中略)
建築というものを、私ははじめて考えてみた。それは確かに理科の人間が進む分野であるが、同時に芸術とも大いに関係がありそうだ。自分の独自の感覚や夢も、仕事の中に十分盛り込むことができるだろう。これなら自分も、情熱をこめて取り組めるかもしれない。
長島先生に相談してみると、先生も「それはいい考えだ。ぜひやりたまえ。」と言われる。私はその言葉にも勇気付けられ、つい先ほどまで文科転向で頭が一杯になっていたのもどこへやら、今度は建築、建築と言い出すようになった。
志望はこうして決まったものの、さて大学受験となると頭が痛かった。文学書は大いに読み、議論も盛んにやったが、肝心の大学受験の勉強はまったくといっていいほどやってない。ことに理科の学生にとっては大切な数学や物理には、もう長い間ごぶさたしている。受験勉強をやらなければならない時期に、文科に移ることばかり考えていたのだから、たまったものではないのである。
さて困ったことだと思ったが、もう時間もない。ままよ、ということでさして準備もしないままで東京大学の建築科を受けたが、案の定、鮮やかに落っこちてしまった。初めて味わう挫折であった。

「一本の鉛筆から」(丹下健三著)より引用

丹下健三―一本の鉛筆から (人間の記録 (57))

丹下健三―一本の鉛筆から (人間の記録 (57))

丹下先生、この後、二浪の末、無事、東大建築科に入学。
巨匠の悩める青春時代。
コルビジェと長島先生が丹下健三をつくったのか・・・・
自分のような人間が学生の相談にのるなどという大それたことをしても良いのだろうか・・・・・・。(悩)
大好きなクラシック映画、「十二人の怒れる男」の中でのヘンリーフォンダのセリフ、
"We talking about his life"・・・・(確かそうだったと思うが)
十二人の怒れる男 [DVD]

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お薦め映画」というブログにストーリーが紹介されていたので引用
ドラマは、裁判所でのすべての審理を終えたところから始まる。見知らぬ者同士の12人の陪審員は、株の仲買人、会社社長、建築家、広告会社社員、時計職人、高校のフットボール・コーチなどと職業はさまざまだ。移民もいれば、スラム出身者もいるという具合に階層も幅広い。夕方からの野球のナイター見物を楽しみにしている男もいる。「義務だからここの場にいるが、陪審なんて早く切り上げて帰宅したい」。多くの陪審員はそう思っている。

 評決は全員一致でなければならない。有罪の評決が出れば、少年は電気いすで死刑になることが決まっている。1回目の投票では、ただ1人の陪審員ヘンリー・フォンダ)だけが「無罪」を主張した。圧倒的多数の11人は「有罪」だった。「無罪の証拠はなかった。目撃者もいる。事実は動かせない」というのが「有罪」の理由だ。これに対し、ヘンリー・フォンダは訴える。「6日間の証言を聞いて、あまりにも明確なので奇妙にさえ感じた。弁護士は十分な反対尋問を行っていない。手抜きをしている。目撃者は1人の女性だけ。あとは物音を聞いた老人と状況証拠だ。この2人の証言が間違っているとすれば?」

 陪審員たちの空気は、明らかにヘンリー・フォンダに冷たかった。なぜ1人だけ、みんなと違うことを言うんだ…。どこにでもいるんだ、そういう奴って…。しかし彼は言う。「人の命を5分で決めてもし間違っていたら? 1時間話そう。ナイターには十分間に合う」

 そして、議論が始まる。「非常に珍しい型」とされた凶器のナイフは、どこにでもあるナイフだったことが分かった。再投票で10対2になった。「無罪」評決に転じた老人が言う。「有罪に確信がないだけで、この方は1人で闘ってこられた。大変な勇気だ。だからこそ彼の賭けに応じたくなった。有罪だとしても、もっと話を聞きたい」。うんざりした表情ながらも、陪審員たちの議論は続けられることになった。

 同じアパートに住む老人と、目撃者とされる女性の証言にはあいまいな点が多いことが、白熱した議論と検証を通じて少しずつ分かってくる。8対4、6対6、3対9…、投票を重ねるに従って「無罪」の評決が増えていく。「なぜ無罪に変えた」「疑いの余地がある。不明確な点も多いし」。裁判所での事件審理自体に疑問を感じる陪審員が出てくる。

 「あの不良が。連中は平気でうそをつく。真実なんてどうでもいいんだ。大した理由がなくても奴らは人を殺す。気にするような人種じゃない。奴らは根っからのクズなんだ」。議論に興奮したのか、少年やスラム住民へのあからさまな中傷を夢中でしゃべった陪審員は、自分の心の中に強くある差別感情と偏見を自ら告白する結果になった。ほかの陪審員たちは絶句して無言で彼を非難する。「偏見抜きで物事を考えるのは難しい。偏見は真実を見る目を曇らせる。事実は私も分からないし知る人はいない。だが、われわれは疑問を感じている。そこが重要な点だ。確信もなく人の命は裁けない」

 最後まで「有罪」を主張し続けた男は、息子と喧嘩別れしてもう2年間も会っていないことで苦しんでいた。自分の息子と被告の少年を心の中でだぶらせて、だから「有罪だ」とかたくなに繰り返していたのだった。男は泣きながら「無罪だ」と言って机に突っ伏した。
以上、引用
ラストシーン。裁判所の外で。
陪審員8(ヘンリーフォンダ)に陪審員9(老人)が聞く。
「ところで、あなたのお名前は?」(ずいぶん昔に観た映画なので定かではないが、確かそうだったと思う)

日本でも裁判員制度がスタートする