1989年にこの建物を見た。衝撃だった。
一緒に行ってた事務所の先輩は
「俺は構造むき出しって嫌いだ。」
しかし、建築が変わっていく予感がした。
ロンドンのロイズ本社。



今回の岐阜旅行でこのリチャード・ロジャーズのテクノプラザを見る。


リチャード・ロジャーズといえば関空の設計者レンゾ・ピアノとの共働によるポンピドゥー・センター(Centre Pompidou)。

レンゾ・ピアノと比べて作品は多少少ないが20年後の今では正統派。
でも、日本では結構やっていた。
林原第5ビル、東京(1993年)
テクノプラザ、岐阜(1998年)
天野エンザイム岐阜研究所、岐阜(1999年、黒川紀章と共同)※テクノプラザの隣らしい
日本テレビ放送網汐留社屋、基本構想(2003年)
南山城小学校、京都(2003年)
政策研究大学院大学、東京(2005年、山下設計と共同)

以下、Wikiより引用

リチャード・ロジャース卿(Richard George Rogers, 1933年7月23日 - )は、イギリスの建築家。リバーサイド男爵(Baron Rogers of Riverside)という一代貴族の位も持つ。彼の建築はモダニズム建築の影響を受けた機能主義的なデザイン、およびハイテク志向の建築デザインで知られている。

ロジャースはフィレンツェに生まれ、ロンドンの建築学校であるAAスクール(Architectural Association School of Architecture)で学び、卒業後はアメリカへ留学。イェール大学大学院を1962年に卒業した。

イェール大学でロジャースは同じく学生だったノーマン・フォスターと知り合い、イギリスに帰った後でフォスターおよび自分たちの妻(スー・ロジャース、ウェンディ・チーズマン)の4人の建築家とともに「チーム4」という建築の実験集団を結成し、ハイテク志向・工業志向のデザインで評判を得た。

1967年にチーム4が解散した後、1971年、ロジャースはレンゾ・ピアノと組んでパリのアートセンター・「ポンピドゥー・センター」のコンペで勝利した。ポンピドゥー・センターは、以後のロジャースを特徴づける様式(建物の内部空間をすっきりさせるために、水道管、冷暖房ダクト、電気パイプ、階段など建物の共用施設をすべてむき出しのまま建物外部にさらし出す)を確立させた作品であった。ポンピドゥー・センターは現在はパリのランドマークの一つとされ高く評価されているが、建設当時はまるで化学工場のような外見は賛否両論であり、口さがない評論家らは内部を外部にさらけ出した姿を「内臓主義(bowellism)」と呼んだ。以後、ロイズ・オブ・ロンドン本部ビルなど、同様の傾向の建物を多く設計している。

1985年には、RIBA(王立英国建築家協会)のRIBAゴールドメダルの授与を受けている。2007年プリツカー賞受賞。

ロジャースが数年かけて取り組んできたニューカッスル・アポン・タインの都市再生のための野心的なマスタープランが却下されて以後、彼は労働党員として、一代貴族として政治の世界で活発に動いている。2000年には英国政府のアーバン・ルネッサンス白書を著したほか、グレーター・ロンドンオーソリティの建築・都市デザイン委員会の議長を務めている。現在ロンドンのほか、東京、マドリードバルセロナ、ニューヨーク(プロジェクトオフィス)に事務所を設立している。また、2007年に事務所名をRichard Rogers Partnership より、Rogers Stirk Harbour + Partners へ改称。