「アーキニアリング・デザイン展」巡回展
前半は建築新人戦2009。これから卒業設計を迎える3回生までの学生のコンペティション。作品もどことなく初々しい。
後半は「内藤廣×斉藤公男」。面白かった。主題は構造デザイン。司会は陶器浩一氏。
最前列には竹山聖、五十嵐太郎、槻橋修、遠藤秀平、長坂大・・・といったメンバーが陣取る。内藤廣といえば「構造デザイン講義」でも知られるように、構造デザインに関して意匠設計家として色々と発言している人。


構造デザイン講義

構造デザイン講義


かたや斉藤公男氏は坪井善勝の教え子。話は当然坪井氏の話になる。時間がなかったので途中までしか聞けなかったが、構造デザイナーとして真っ先に思い出す今年の5月に逝去された木村俊彦氏の話は出てこなかった。


空間・構造・物語―ストラクチュラル・デザインのゆくえ

空間・構造・物語―ストラクチュラル・デザインのゆくえ


木村氏についてはArchstructure.netの記事が興味深い。

戦後、日本を代表する建築構造設計家として有名建築家に愛された木村俊彦氏が5月27日、逝去されました。82歳でした。 近年多用される「構造家」という肩書きは木村氏が日本で初めて名乗ったと言われますが、まさにその名にふさわしい活躍でした。そのレパートリーは多種多様で、磯崎新氏、槇文彦氏などをはじめ、担当した代表作をあげると、そのまま日本の現代建築史になりそうです。その中からひとつピックアップするならば、槙文彦氏と協働した藤沢市秋葉台体育館でしょうか。 「カブトガニ」を連想させる特徴的な形態は両氏の緊密なコラボレーションの賜物。そのタイポロジーは その後、幕張メッセの小ホール、東京体育館へと引き継がれました。東京体育館の鉄骨建て方を見学した故ピーターライス氏は「とてもロマンティックな構造だね。完成したらぜひ見たいよ」と言ったそうです。曲がったことが大嫌いで、弟子や施工者をどなりつけることもしばしばだったとのこと。ここでひとつ、そんなエピソードを国内某県○○市に、ある建物を設計した木村氏、その設計図、 構造計算書を確認申請※のために○○市に提出しました。しかし構造が斬新なためか、市の審査担当者はなかなか理解できません。
早く審査を終了してほしい木村氏は、当時モダンな庁舎として名を馳せていた○○市役所に出向き、その担当者と直接話すことにしました。話し合いを進めたものの、お互いの主張が異なるため、しまいには大激論に!業を煮やした木村氏は最後の(強烈な)切り札を! 木村氏 「オマエ、お前が毎日座ってるこの庁舎、誰が(構造)設計したか知ってるか?」 担当氏 「???」
木村氏 「これはオレが設計したんだよ!!!」 担当氏 「!!!」。。。審査は程なく終了したとのこと。最後に木村氏の名言を。「包丁はいつも研いでおかなければならない。使う時が来るとは限らないが。」包丁とはもちろん「技術」の意。あらゆる建物を設計した氏らしい言葉です晩年は数年間、病床に伏す日々だったとのこと。心よりご冥福をお祈りします。

SPACE STRUCTURE―木村俊彦の設計理念

SPACE STRUCTURE―木村俊彦の設計理念



内藤氏の講演の中の話。「スペインから日本に帰ったとき、普通の在来工法の棟上げされた木造住宅の軸組みを見たとき本当にきれいだなと思ったんです。しかしそれが、日が経つにつれて段々普通の建物になっていく・・・・・」同感である。
もう一つ印象的な言葉。「今の若い人たちをダメにしているのはプロトタイプを押し付けている自分たちではないか・・・」(メモを取っていなかったので大体の内容であり、内藤氏が実際に語った言葉とは異なる)
これにも同感。