久々に映画の話、というより久々に紹介したい映画の話。


体の中で動かせるのは左目の瞼のみ。自殺することさえできない。想像しただけで気の遠くなるような話だが、映画は淡々と元ELLE誌の編集長、ジャン=ドミニク・ボビーの左目を通して語られていく。
主演は「ミュンヘン」のマチュー・アマルリック。一時はジョニー・ディップ主演の英語版の話もあったらしい。

ロナルド・ハーウッド*脚本家)まず、英語に翻訳されたものを読み、英語で映画化されるものだと思っていたんだ。この脚本の初稿を書いてから、何もかもが始動するまでに2年間あった。最初にユニバーサル・ピクチャーズから許可がおりて、英語で制作してジョニー・デップ主演の予定だった。彼らはロンドンに居た私に「ジョニーが脚本を気に入ってくれて出演することになった」と言ってくれ、その後すぐに映画『ネバーランド』のロンドン・プレミアに招待された。この時、ジョニーがわたしの目を見つめながら手を握って「本当に素晴らしい脚本ですね。あなたと仕事ができる日が待ちどおしい」と言ってくれたが、わたしはそばにいた妻を振り返って「たぶん彼は、参加しないだろう」と言ったとおりになってしまった。彼はすでに『パイレーツ・オブ・カリビアン』の続編を連続で撮影する承諾をしていたんだ。したがって一旦中止になり、もう決して映画化は無理だと思っていた矢先、パシェ・レン・プロダクションズがファイナンスすることになり、彼らは最初不思議なことに英語でやりたがっていたが、すぐに英語とフランス語の両方に変わり、それだと予算が向上しすぎて無理だという判断で、結局フランス語に決まったんだ。最もこの決断には、わたしはかかわらなかったけれどね。

監督は「バスキア」「夜になるまえに」のジュリアン・シュナーベル

ジュリアン・シュナーベル
ニューヨーク市ブルックリン出身のユダヤ系。ヒューストン大学で学んだが、アーティストとしてはなかなか芽が出なかった。しかし、1970年代の終わりに、若き画商であったメアリー・ブーンに見出され、彼女の画廊で催された個展において、壊れた陶器の皿をカンヴァスに張りつけた作品などが話題になり、1980年代の新表現主義(NeoExpressionism)の中核をなす画家となった。
映画監督・脚本家としては、1996年には交流のあった画家ジャン・ミッシェル・バスキアの伝記映画『バスキア』を制作。2002年の『夜になるまえに』でヴェネツィア国際映画祭の審査委員グランプリを、2007年の『潜水服は蝶の夢を見る』で第60回カンヌ国際映画祭監督賞、および第65回ゴールデングローブ賞監督賞を受賞した。



潜水服は蝶の夢を見る

潜水服は蝶の夢を見る