11月27日の日記、一部訂正。
授業風景を記述した部分について、学生よりクレーム。
真実を書いたのだが、あまりにも生々しすぎて、しゃれにならなかった様子。
別にどっちでもいいのだが、その部分を削除。





以下、1日遅れの日記。
事務所に届いた、ダイレクトメール。毎年、恒例となったD電機の建築セミナーへの招待状。
今年は、人気建築家、手塚貴晴(てづか たかはる)氏。忙しくもあるし、ミーハーづら下げて大阪まで行くのにも抵抗があったが、行かざるをえない理由があり、梅田へ。また、授業のネタにでもするか・・・・
定刻の6時半、会場到着。満員の盛況。定員を決めてるはずが、なぜか会場に入れず、モニター室へ案内される。
オーバーブッキング?「ちょっと失礼すぎない?」という言葉を口の中で噛みしめながら、モニター室へ。
始まっていた。奥様の由比氏は来ていない。(・・・そう、そうやって、たまには離れないともちませんよ)
最初はご存知「屋根の家」の話から。以前、国営放送でやっていた番組とほぼ、同じ内容。(使いまわしは判るけど、テレビでやったやつは・・・・)
その後、メインテーマの「ふじようちえん
園長先生の話。屋根の家もそうだが、この人、本当に施主に恵まれていると思う。(勿論、それがこの人の実力なのだが)
ここで紹介される園長先生はすばらしい人。建築を造るのは、あくまでも施主なのだということを痛感させられる。
もう一人は佐藤 可志和(さとう かしわ)さんの話。知らなかったが、この人がディレクションをやっていた。佐藤さんといえばアートディレクター。建築の専門家ではない。
これがよかった。「必要な部屋数は?」「便器の数は?」などという最初に話す必要の無いようなことから始まらなかった。佐藤氏について、古谷 誠章(ふるや のぶあき)氏が代表幹事を務める建築フォーラムのブログにコメントが掲載されていたので紹介。以下、一部引用。大分長いので適当に読んで欲しい。

5日で学ぶJw_cad4 (エクスナレッジムック―Jw_cadシリーズ)

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佐藤氏は、現在日本を代表するアートディレクターの一人で、SMAPのアートワークやキリンビールの「極生」などの商品開発・広告キャンペーンなどを手がけたことで知られる。その佐藤氏が、あることがきっかけで建築のディレクションをすることになった。もちろん佐藤氏は、建築の専門家ではない。そこで建築のプロとして参加を要請したのが手塚氏だった。それまでの二人に直接の接点はない。ただし佐藤氏は、手塚氏の代表作の1つ「屋根の家」に魅せられていた一人だった。「屋根の家のような気持ちのよい空気を感じる建築をつくりたい」と手塚氏にアプローチ。こうしてアートディレクターと建築家のコラボレーションが実現することになる。協働の舞台となったのは、東京都立川市にある「ふじようちえん」。定員420人(保育児含め600人)で、市街地内では日本最大級という幼稚園の建替計画である。
(中略)
実を言うと、幼稚園側が佐藤氏に依頼する前に、すでにいくつかプランがあったという。でも園長先生が気に入る案がどうしてもなかった。佐藤氏に依頼したのは、そんな状況を打開したいとの幼稚園側の強い思いがあったようだ。
「園長先生が気に入らなかったのは、よくわかります。理由はプランがスペックだけでできていたからなんです。つまり園児が何人だから、広さはこれくらいでいくつというように決められていたんです。これでは幼稚園としてはおもしろくありません」
要するに「ビジョンがなかった」ということだろう。そんな状況に対して、佐藤氏はこう切り込んだ。
「園長先生の頭の中をデザインします。いろんな夢や思いがあると思いますから、それを整理してまとめましょう。幼稚園という場のコンセプトをとらえ直すことが大切です」。
(再び中略)
園長先生の一番の願いは「毎日園児が喜んで来てくれて、楽しい時間を過ごすことができる幼稚園」だった。では園児が行きたくなり楽しんでくれる幼稚園とはどんなものか。園長先生と佐藤氏が一致したのは「幼稚園が子どもにとっての一番の遊び場であること」だった。そうして「だったら園舎そのものが巨大な遊具になっていれば最高だ。そんな空間をつくろう」との結論に到達する。
それでは、まとまったコンセプトやビジョンを具体的にかたちとして実現できる人は誰か。ここで手塚氏の登場である。
手塚氏の手で形となった園舎は、ドーナツ状の建築で、園舎全体がまさに遊具だった。従来の幼稚園のように、壁で仕切られたような空間を排除し開放的だ。既存の大きな樹木が建物を貫き、中庭など建物の外にもさまざまな遊びの仕掛けがされている。
「全体ビジョンを作ることの大切さを、佐藤さんと協働することで思い知らされた。初めてディレクションの仕事を理解した」手塚氏は今回の仕事を通じてこう語った。佐藤氏は建築の素人だから設計はできないし、1本の線も引いていない。しかし「佐藤氏の存在を抜きに、今回の計画は絶対に成立し得なかった」と強調する。そして「建築が形になる前のクリエイティブワークが、いかに計画全体をパワフルなものにならしめるかを実感した」。
建築をつくる人は多いが、その思いを発注者にうまく伝えられる建築家は必ずしも多いとはいえない。また自分の思いを建築家にうまく伝えられる発注者も同様だ。建築家と発注者をつなぐクリエイティブワーク。それが佐藤氏の仕事である。でもこうしたクリエイティブワークができる人もまた、少ないのが現実だろう。
以上、引用。
『12 Architects, 12 Projects 2007』 DETAIL JAPAN (ディーテイル・ジャパン) 2007年 10月号 [雑誌]

『12 Architects, 12 Projects 2007』 DETAIL JAPAN (ディーテイル・ジャパン) 2007年 10月号 [雑誌]

設計の基本が、コミュニケーションであるということがわかる話。以前、「建築が企画、設計、施工、運営、管理のどれが欠けても成功しない。」と書いたが、このプロジェクトはその成功例。
手塚氏が紹介したもう一人の人物。照明家の角舘政英(かくだて まさひで)氏(ぼんぼり環境計画)同じく、建築フォーラムで角館氏の講演について紹介しているので一部引用。
角舘氏はまず、対照的な2つの町並みを紹介した。1つは建物とストリートをライトアップした町並み、もう1つは建物から光が漏れ周囲を照らし浮かび上がらせるような町並みである。前者は人気がなく寂しい印象を受けるのに対して、後者は建物内で行われている人間のナマの営みを感じさせる光と町並み。人の動きがライブで見える構図である。この対象的な2つの明かりは、角舘氏の照明理念あるいは概念を理解する上で重要だ。
(中略)
角舘氏は、「演出照明的な光は、特に住宅照明ではあまり必要ないと思っている」。それは「建築化照明といわれる、建物をきれいに見せるためだけの照明は、建築空間の本質をついていない」(手塚氏)という考えからだ。といっても照明を演出していないわけでは決してない。強調したいのは、「建物が人のために存在するのと同様に、照明も人のために存在する」という点だ。この本質を忘れると、「人間不在の演出照明になってしまう」ということを訴えているのである。角舘氏の考える照明は、決して突出せず自然で日常的である。これも「照明はそこに住む人の生活が第一」、すなわち人間のための照明を考えているからに他ならない。それでいて「建築を際立たせる。写真で見るとなんてことないが、実物を見ると感動する」(手塚氏)不思議な魅力をもつ照明である。なかでも手塚氏と協働した角舘氏の照明で印象深いのは、裸電球や蛍光灯による単純な照明だ。これを実践したのが「屋根の家」「八王子の家」を始めとする手塚氏との協働である。照明計画に際しては「天井も床も壁もフワっと明るくなり、最小限の照明はないかを模索した」。角舘氏と手塚氏は幾晩も徹夜を重ね議論した。その結果、到達したのが裸電球である。
以上、引用。
きもちのいい家

きもちのいい家

全文が読みたい方は建築フォーラムのブログ
後は愛車黄色のシトロエンCV2の話。何の脈絡も無かったが・・・・。
講演は、定刻の8時に終了。
まあ、よくしゃべる人だ。1時間半ではまだ足りない様子。あの、饒舌さが成功の秘訣か。
以前、設計をやる人間といえば「偏屈、頑固、へそ曲がり」とたいてい3拍子そろっていたが・・・・
建築界の新しい流れか。
それにしても、照明器具メーカー主催のセミナーで「裸電球」はちょっとまずいんじゃないと思っていたら、案の定、D電機の社長がとんできて、自分の会社のデザイナーを紹介していた。
しかし、手塚氏の話が終わったらみんなサッサと帰ってしまったので、あまり聞いていなかった。

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尚、「ふじようちえん」に関する記事は、新建築、2007・5月号

新建築 2007年 05月号 [雑誌]

新建築 2007年 05月号 [雑誌]

佐藤 可志和さんの対談も載っている。
帰りに、ちょっと遠回りをして阪神高速環状線に乗って、建物チェック。
知らないのが3つもある!!!

ギャラ間の大阪巡回展千葉学アトリエ・ワン

お断り:めんどくさいので今回より、ふりがなは人名のみとします。