2009.9.21
<お知らせ>
ルーヴル美術館展」の混雑状況について
ルーヴル美術館展」最後の一週間となりました。
このところ毎日一万人前後のお客様で混雑しています。昨日は、午前中早い時間から、30分から1時間の入場待ちが出始め、ピークには80分待ちとなりました。1時間前後の待ち時間は、午後4時過ぎまで続きました。
本日も開館待ちが600人以上、午前10時に120分、午前11時に150分の入場待ちとなっています。
2009.9.22
<お知らせ>
京都市美術館は、ご入場の最終が午後4時半、完全閉館が午後5時となっておりますが、「ルーヴル美術館展」におきましては、入場待ちで並んでいただいた方が、午後4時半までに入場できない場合がございます。
そのような場合でも、午後4時半までにお並びいただいた方には、ご入場と最低30分のご鑑賞時間は確保致します。
2009.9.22
<お知らせ>
ルーヴル美術館展」の混雑状況について
本日は開館直後に1時間、午前10時時点で90分、午前11時時点で130分の入場待ちとなっています。

京都市美術館のHPより引用

どう考えても無理な話。1万人の人間が下の図面,本館1階北側の色のついた部分を8時間のうちに行進することになる。その間直線距離にして約130mほど。そこに合計71点の絵画が並ぶ。人気のフェルメール(レースを編む女)の前では「立ち止まらないで下さい!!じっくり見たい方は後ろで見て下さい!!」・・・・・
24×21cmの絵画を行進する人間の間から垣間見る。他に方法はなかったのだろうか・・・・



ところで、見えにくいかもしれないが、この図面(京都市HPより引用)の下には「東京  前田 健次郎」とある。

前田健二郎(まえだけんじろう)
東京美術学校出身の建築家。 はじめは逓信省に勤務。戦前の数々のコンペに入選し「コンペの前健さん」の異名を取る。戦後もモダニズムとは一線を画した作品を造る。紫綬褒章日本芸術院賞、勲三等瑞宝章受賞。
(中略)
前田が在籍当時の逓信省の様子
経理課営繕係長(のち営繕課長)に内田四郎(M33東大卒)、技師に和田信夫(M43卒)、武富英一(M45卒)、渡辺仁(M45卒)、大島三郎(T6卒)がおり、前田はその下の技手であった。その後、岩元禄(T7卒)、五島(吉田)鉄郎(T8卒)、山田守(T9卒)らも加わり、逓信営繕は活気を帯びていた。

山田守に並んで吉田鉄郎の名前を発見。

吉田 鉄郎(よしだてつろう 1894年5月18日 - 1956年9月8日)は日本の建築家。庭園研究家としても知られる。逓信省で多くのモダニズム建築を設計した。
富山県出身。旧制四高を経て、1919年東京帝国大学建築学科を卒業。逓信省営繕課に入った。逓信省には同時期に山田守らの俊英が在籍していた。初期はドイツ表現主義エストベリなど北欧建築の影響を受け、後にモダニズム建築の傑作を生み出した。ブルーノ・タウトが来日した際は桂離宮など各地を案内した。タウトは吉田の設計した東京中央郵便局を、モダニズムの傑作と讃えた。
第二次世界大戦中は故郷に戻り、終戦後、日本大学で教壇に立った。病気のため、辞任。脳腫瘍に侵され寝たきり状態の中、『Der japanische Garten』『スウェーデンの建築家』などを口述で著した。ドアノブに触れないほど神経質であり、常に消毒液を持ち歩いていたという。


保存か再開発かでもめる東京中央郵便局、大阪中央郵便局、京都で言えば現在の「新風館」元京都中央郵便局、今はなくなったが河原町丸太町東入る元「カーニバル・タイムズ」、元京都中央電話局上京分局の設計者。
なぜ目に止まったかというと最近授業で見せたアアルトの「Villa Mairea」というDVD(日本語字幕なし:注意)に吉田鉄郎の名前が出てきたからだった。


Villa Mairea  Alvar Aalto (DVD)マイレア邸 アルヴァ・アアルト
販売価格:5,145円 (税込)
■DVD(英語・フィンランド語/26分)
フィンランドの西海岸の近くに、アルヴァ・アアルトがハリーおよびマイレ・グリクセンのために建てた住宅、マイレア邸。Rax Rinnekangasによるこの映画は、フィンランドの建築の伝統と日本の文化によって影響を受けたユニークな実例として、名作マイレア邸の世界を明らかにする。

ヴィラ・マイレア Alvar Aalto Villa Mairea1937-39―世界現代住宅全集01(Residential Masterpieces)

ヴィラ・マイレア Alvar Aalto Villa Mairea1937-39―世界現代住宅全集01(Residential Masterpieces)


DVDによればマイレア邸の2年ほど前にヨーロッパで出版された吉田鉄郎の本に影響を受けたとのことだった。(Das Japanische Wohnhaus 1935)日本名では


建築家・吉田鉄郎の『日本の住宅』 (SD選書)

建築家・吉田鉄郎の『日本の住宅』 (SD選書)

「日本の家では一度に何枚もの絵を飾ることをせず、一週間や一ヶ月ごとに絵を取り替えることをご存じと思います。(中略)わたくしはこの大きな部屋に可動の間仕切りをつくろうと考えており(中略)この仕切りはコレクションを収蔵する家具であると同時に、外側は選び出された絵を掛けるようになって(中略)それはひとつの絵画ライブラリーのようなものになります」( アルヴァ・アールト 1 9 3 9 年5 月イェール大学での講演)

日本の床の間の設えにヒントを得る。