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現在でも仏領のニューカレドニアは、フランスの政治的な問題に深く関わっています。フィジーやバヌアツなどの周辺の島嶼国家が次々に独立する中、この島はニッケル生産量世界3位という戦略的な要地であるため、未だにフランス統治下に置かれています。
ジャン=マリー・チバウはニューカレドニア独立派のリーダーでしたが、カナック人(ニューカレドニアの先住民族)内の急進派と対立し、89年に暗殺されるという悲劇がおこりました。この事件を機に、フランスとカナック人との間で伝統的な文化の復権・保存のための環境づくりが進められ、90年に故人の名をとった「ジャン=マリー・チバウ文化センター」の設置が合意されました。文化センターのデザインはコンペによって進められ、91年6月にレンゾ・ピアノ案に決定しました。
(中略)
複雑な政治上の背景があるため、チバウ文化センターはカナックの文化とフランス文化の和解を現わす必要があります。施設は「カーズ」と呼ばれる建物と、それらを結ぶ道によって成立しています。カーズはカナック人独特の小屋で、巨大なカーズが上部で櫛状になる形態は、カーズを制作している途中のような印象を抱かせます。
「東京デザインセンター 建築セミナー 建築におけるポスト・コロニアリズム〜レンゾ・ピアノ「チバウ文化センター」を読む 」より引用
建築100選 002 「チバウ文化センター」Jean Marie Tjibaou Cultural Centre
度々学生に紹介するが、その度に感嘆の声があがるレンゾ・ピアノの傑作。
1774年にキャプテン・クックによって「発見」され、1853年にフランス領となっている。当初は流刑植民地だったが、19世紀後半のニッケル発見後は鉱業の島となった。20世紀後半には独立闘争で島が揺れ、1998年のヌーメア協定で将来に関する合意がなされた。
先ず、このようなドロドロした背景の中で、こんなにも清々しい解決案を考えたレンゾ・ピアノという人の力量には唯々感心するばかり。この「天国に一番近い島」は1998年のヌーメア協定で、2014年以降に行われる国民投票によってフランスにとどまるか独立国になるかを決定することになっているということ。
本施設設計の主要な要素はサイクロンによる強風でした。
本施設は海へ突き出た半島に立ち、その片側は太平洋(外海)、反対は半ば湖のようなサンゴ礁 (内海)にはさまれています。
施設の配置計画の時には外海からの風が卓越(顕著である)であったのでこれが考慮されました。
また本建物の設計の大きなテーマは、空調機械に頼らない、自然換気により快適な屋内環境を保てる建築を作ることでした。
なぜなら、かの地では空調機械は輸入して購入する必要があり、またメンテなどにもコストがかさむためです。
archstructure.netの記事が興味深い。
レンゾ・ピアノというと何となく職人肌の建築家というイメージだったが、とんでもない。世界の最先端を走るハイテク設計集団だった。
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