この作品は陪審員の会合だけで成立している。当初、少年が父親を殺したとされる事件の審議において、ほぼ有罪間違いなしという雰囲気だった。しかし、12人の陪審員中一人だけがまだ納得いかないので話し合おう、もっと資料を検討しよう、という風に物語が始まる。陪審員制度では、全員一致でないと結論が出せないので、一人の異議によって長い議論に突入するのだ。そしてひとつひとつの証拠の資料を検討していくと、揺るぎない事実と思われていたことが次々と宙吊りになり、確定したはずの議論が決定不可能に陥る。結局、有罪の確証が得られないために12人が推定無罪という結論を導く。
小さなエピソードだが、実は最初に異議を唱えた人物の職業は建築家である。リメイク版「12人の怒れる男 評決の行方」(1997)でも、同じ設定だった。
これは最初のディスコンストラクティヴィズム(脱構築主義)の建築家だろう。1980年代に注目された脱構築主義の建築とは、安定した型式を解体し、ゆがんでいたり、傾いたデザインを展開した。彼らに影響を与えた脱構築主義の思想では、自明と思われる議論を論理的に検証すると、決定不可能性に追い込まれ、裏返っていく。そうした意味で「12人の怒れる男」の建築家は、モノを設計していないが、ロジックにおいては最初の脱構築主義建築家なのだ。

五十嵐太郎「映画的建築・建築的映画」より引用
仮に好きな映画を10本あげろと言われて選ぶとする。答えはその時の気分などでまちまちになるだろうが,恐らく必ず出てくる映画は「12人の怒れる男」だろう。多分20回以上は観ていると思う。

十二人の怒れる男」「狼たちの午後」などの社会派ドラマで知られる米映画監督のシドニー・ルメットさんが4月9日、米ニューヨークの自宅で悪性リンパ腫による合併症のため死去した。86歳だった。
ルメットさんは1924年6月25日、米ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ。幼少の頃にニューヨークに移住し、以降同地を拠点に活動をつづけた。父親が俳優で、自身も4歳で舞台デビュー。その後、舞台やテレビの演出を手がけるようになる。57年には、陪審制度を扱った傑作「十二人の怒れる男」で長編映画監督デビューを果たし、ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞したほか、アカデミー作品賞、監督賞、脚本賞にもノミネートされた。
代表作に、「セルピコ」(73)、「狼たちの午後」(75)、「ネットワーク」(76)、「プリンス・オブ・シティ」(81)、「評決」(82)、「デストラップ・死の罠」(82)など。07年の「その土曜日、7時58分」が遺作となった。