龍安寺の石庭」として知られる枯山水の方丈石庭で有名な龍安寺は、禅宗が盛んだった室町幕府管領守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が宝徳2年(1450年)に創建した禅寺である。衣笠山山麓に位置する龍安寺の所在地は、藤原北家の流れを汲む徳大寺実能以来、徳大寺家の山荘であったところを、細川勝元が譲り受けたものである。初代住職として妙心寺5世住持の義天玄承(玄詔)を迎えた。龍安寺の開山は実質的にはこの義天玄承とされているが、義天自身は2世に退き、自分の師の日峰宗舜を開山に立てている。創建当初の寺地は現在よりはるかに広く、京福電鉄の線路のあたりまでが境内であったという。

昨日訪れたもうひとつのお寺。高山寺より周山街道を引き返し、福王寺より京都市道183号衣笠宇多野線、通称「観光道路」を東進、仁和寺の前を通り過ぎ龍安寺へ。駐車場は拝観者に限り1時間無料。(別に時間を計ってるわけではないのでマナーとして)
山門前で石庭に入るためのチケットを購入(¥500)し庭園内へ。先ず目に飛び込んでくるのが鏡容池。



次が石庭。京都の観光のためには仕方のないことだが、ここにも修学旅行の団体が・・・・



「方丈」






15個の石は、庭をどちらから眺めても、必ず1個は他の石に隠れて見えないように設計されているという。しかし、中の部屋から1ヶ所だけ15個の石すべてが見える位置がある。ハルト・バン・トンダとマイケル・ライオンズによれば、それは方丈の間の中心であり、15の石の配置は、ここを根元とする「二分岐構造」になっているという。ただし、この程度の面積の庭に15個の石を並べれば、そのうちの一つは隠れて見えなくなるのはむしろ当然のことだとする意見もあり、これを表現意図とする考え方には賛否両論がある。なお、東洋では十五夜(満月)にあたる15という数字を「完全」を表すものとしてとらえる思想があり、15に一つ足りない14は「不完全さ」を表すとされている。また、日本には、日光東照宮の陽明門にみられるように、「物事は完成した時点から崩壊が始まる」という思想があり、建造物をわざと不完全なままにしておくことがある。


知足の蹲踞

順路に従って回遊式の庭園を一周する。ここでも「配管謝絶」の看板が。管理上仕方のないことか・・・