ドイツからいきなりメキシコへと唐突ではあるが、フリーダ・カーロという女性について。
画家。
以前、「日曜美術館」でもやってたが、強烈な作品を残し、強烈な生涯を送った人。
以下、引用。
フリーダ・カーロ(Frida Kahlo、1907年7月6日 - 1954年7月13日)は、メキシコの画家。当時のメキシコシティ郊外、南西にある小さな町コヨアカンに生まれた。父親は画家・写真家でルーマニア オラデア出身のドイツ系ユダヤ人移民であった。
6歳の時ポリオ(小児麻痺)に罹患し右足が不自由になった。更に1925年9月17日、学校から下校途中に乗っていたバスで事故にあい、肩の脱臼、肋骨・鎖骨・背骨・骨盤が骨折、右足の粉砕骨折、子宮等女性器に重度の受傷を被る瀕死の重傷を負った。
入院中絵を独学で学び、創作した作品が、著名な壁画家であったディエゴ・リベラ(Diego Rivera, 1886年 - 1957年)に才能を認められ、後1929年8月21日に結婚。リベラの浮気、バス事故の後遺症での流産を繰り返すなどがあり1939年離婚するが翌年復縁、以降、怪我の後遺症に苦しみながら創作活動をした。
メキシコで最も有名な画家の一人とされ、とくに結婚後の恋愛(彫刻家のイサム・ノグチやロシアの革命家レフ・トロツキーなどとの奔放な恋愛、いわゆる不倫)は憧れと尊敬の対象で、メキシコやラテンアメリカの女性のひとつの理想像の典型とされ、何度か映画化されている。社会主義を建前とするメキシコで生活したため、スターリンを尊敬し、居室にスターリンの肖像を掲げて暮らしていた。 (メキシコ共産党員)一説にはメキシコで最初にジーンズを履いた女性といわれる。
1954年7月13日肺塞栓症により47歳で逝去した。フリーダ・カーロの生家であった通称「青の家」(La Casa Azul)は、現在フリーダ・カーロ博物館Museo de Frida Kahlo)となっている。
以上、引用。
映画とは「フリーダ」。
この、「フリーダ・カーロの家」を設計したのがファン・オゴルマン (1905-1982)。メキシコの建築家。
この家を設計した頃、オゴルマンは、コルビジェに傾倒していて、リベラに設計を申し出た際に、「美を追求するのではなく、生活の容器としての住居を作りたい。」と言ったそう。(「住むための機械」もこう言うと判りやすい)

若い時からメキシコの近代建築をリードしたが、やがて画家に転じた。以前、伊東豊雄さんが雑誌で紹介していたが、その他は日本でもほとんど知られていない建築家。
メキシコの建築を探っていく上で、ひょっとしたら重要人物かも。ちょっと調べてみようと思う。
ルイス・バラガン(1902-1988)とほぼ同年代。興味がある。
アメリカの南の方に行くとメキシコのことを「メヒコ」と言っていた。長い間疑問だったが、最近、中南米に行って来た女性に、「何でメヒコなの?」って聞いたら、
スペイン語」。
・・・・・・
あっ、そ。

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