1980年代、フランソワ・ミッテラン大統領はルーブル美術館大改造、新オペラ座建設(オペラ・バスティーユ)、グランダルシュ建設など、巨大な文化施設を複数建設しパリの面目を一新するパリ改造計画、「グラン・プロジェ」を立ち上げた。1988年7月14日、フランス革命記念日の演説で、ミッテランルーブルオペラ座など先行する事業に続き、手狭になったフランス国立図書館を新築して世界最大の規模に拡大する計画を発表した。
新しいビブリオテーク建設にあたっては、複数の建築に分散していた部門をすべて入居させあらゆる分野の知識を集めること、あらゆる人々が立ち寄りやすいようにすること、当時の先端の通信技術を使用することで遠隔地からでもデータにアクセスできるようにすること、国内や欧州の他の図書館とも連携することが意図された。1989年7月、244チームが参加した建築設計競技(コンペ)の結果、イギリスのフューチャー・システムズ、イギリスのジェームズ・スターリング、フランスのドミニク・ペロー、フランスのフィリップ・シェとジャン・ピエール・モレルの4案が優秀賞、ジャン・ヌーヴェル案とレム・コールハース案が特別賞となった。英仏対決の様相を呈したコンペは、ミッテラン大統領の採決によりドミニク・ペローの案が採用される結果となった。美術におけるミニマリズムの影響を強く受けたペローの設計案の勝利は、装飾の復活や過去の建築様式の引用などにぎやかな外観を呈したポストモダン建築の流行を終わらせるインパクトがあった。

wikiより引用


国立国会図書館関西館の写真を見ながら、去年の春に行ったフランスの国会図書館の写真をまだ整理していないことを思い出した。
ドミニク・ペローがコンペを勝ち取ったのが1989年。陶器二三雄氏の設計が採用されたのが1996年。意外と知られていないのが両方の図書館に共通な地下にある中庭。しかも双方ともこの中庭が一番の特徴のように思える。奥歯に物の挟まったような言い方だが・・・・



国立国会図書館の中庭



シモーヌ・ド・ボーヴォワール橋から見たビブリオテーク・ナショナル。



ミッテランの名前が・・・・