コートハウスについてもう少し考えてみる。
コートハウスといえばなんと言っても西澤文隆であろう。
「正面の無い家」(坂倉事務所のHPより引用)

Wikiより引用
西澤 文隆(にしざわ ふみたか、1915年 - 1986年)は、日本の現代建築に大きな影響を与えた建築家であり、日本建築、茶室、庭園の研究者でもある。正確に調査されていなかった伝統的社寺仏閣の実測調査を行った。坂倉準三建築研究所において1番目の所員であり、坂倉準三死去に伴って、坂倉建築研究所の代表として活躍した。その作品たちは、コートハウス、屋上庭園といった、庭と生活空間を混在・共存させていく手法が多く用いられている。

コート・ハウス論―その親密なる空間

コート・ハウス論―その親密なる空間

昨日紹介した村田靖夫さんが「住宅特集」に次のような投稿をされている。
以下、再び引用。
当時(*1960年代)、優れたコートハウスを発表していたのは西澤文隆だ。発表された計画はいずれも魅力的で、今からすればはるかに敷地が広く、とても優雅な計画に見える。しかし、コートハウスに特別な思い入れを持ち、進行する都市化にそなえた住宅をつくる意気込みが今でも伝わる。囲われた庭と室内が深い軒で融合し、内と外のつながりが気持ちよく、屋外を十分に楽しむテラスやデッキなどのしつらいや、後年、緑魔というニックネームを持つほど豊かに配された植栽、そして基本に忠実なゾーニング動線など、それらはいまもって住宅の範として存在し続けている。しかし平面を見ると、いずれも敷地一杯に閉鎖的に塀や壁を建てることによって、コートハウスがあくまで都市の一住居単位として集合化を前提としてつくられるべきだ、という矜持をにじませている。だが、今にして思うことだが、コートハウスのこの閉鎖性と境界廻りのあり方こそが、その後、コートハウスが広まらなかった要因と私は思う。
以上、引用。




住宅特集 2003年5月号 コートハウスの行方



大先輩に対して言葉を返すようだが、そんなにレベルの高いものではないと思う。現在の日本の住宅を考えると9割方がハウスメーカーや建売住宅。要は考える力が無いか、高くつくから嫌がってるだけの話ではないのか・・・・・
住宅金融公庫(現在の住宅金融支援機構)があった頃、融資の条件は100平方メートル以上の土地というのがあった。その為か都市部では100平方メートルぎりぎりの敷地というのが結構多い。今後、その住宅の建て替えの需要が増えてくると考えられる。
100平方メートルの敷地に、車2台、内部空間としての庭。3階建てだと高くつくから2階建て。
窓を開けたら隣のオッサンの顔じゃシャレにならない。
知恵を絞ろう・・・・




住宅特集 2000年11月号  特集 コートハウス・リターンズ