年末なので、仕事場兼寝室の大掃除。
本棚の片隅から忘れていた本が出てきた。
建築文化・1989年7月号。
特集:都市の蘇生 パリ‐グラン・プロジェ1979-1989
ラ・ヴィレット科学産業博物館、オルセー美術館、アラブ世界研究所、ラ・ヴィレット公園(第1期)、大ルーブル計画、大蔵省新庁舎、テット・デファンス、バスティーユオペラ座、ラ・ヴィレット音楽シティーほか

玄・ベルトー・進来氏によるジャン・ヌーヴェル氏へのインタビューとレポート。
若かりし頃のヌーヴェル氏。


以下引用。
アンリ・シリアニやクリスチャン・ド・ポルザンパルクなどの若手有名建築家チーム7組が、このアラブ世界研究所の設計競技に参加した。
ジャン・ヌーヴェル以外の6組は、敷地全体を使い、どちらかといえば南側のジュッシュー大学側に建物を寄せていた。
ヌーヴェルがセーヌ川の方に全体を寄せる決心をしたのは、コンペの要項をひっくり返したからであった。
応募要項によれば、バス専用道路が敷地の川沿いの部分に通ることになっており、そこに建物を建ててはいけないと明記されていた。
しかし、それでは逆に交通渋滞になってしまうとヌーヴェルのチームは指摘し、バス道路以前からの都市計画壁面線に基づいた建物棟の提案をしたのである。



長くなるのでこの続きは次回。