引き続き、「建築文化1989・7月号」より

計画案と実施案との間に変更がない、ということはほとんどありえないことで、この建物も他の部分で幾つかの変更を経て、今日の姿になった。
コンペ案では建物の最高高さが35mであったが、都市計画審議会の要求で31mに下げられた。



(中略)
そして、一番残念だったとヌーヴェルが言う変更は、予算の問題で形が変わってしまった広場下のオーディトリウムだった。多柱造りのホワイエとオーディトリウムが並んで組み合わされて縮小されてしまい、残りの空間に地下2階に当てていた駐車場を持ってこなければならなかったのである。






彼の建築はこのようにマインド・ゲーム的な要素を多く含んでいる。空間のための空間性、また、入ってしまえばその空間が一目で分かってしまう建築には、興味がない。
むしろテクスチュア、マテリアル、連想が彼の相手らしい。
そして、緊迫感。
両棟の間の隙間、東側の水銀が流れ落ちる予定の階段が設けられたスリット、1階の低い天井のエントランス・ロビー、どれをとっても空間をピンと張っているかのようだ。
特に、この2.05mの高さしかないエントランス・ロビーを「フランス一低いエントランス・ロビー」と自慢するほどまで、縦に貫くエレベーター・シャフトと対比させたかったのである。
一目で分かってしまう空間性に興味がないというのも、自分の建築を記憶の中に残る緊迫感で楽しんでもらいたいからである。例えば、この建物エントランスである、階段の下をくぐりぬけ、日本では消防法に引っ掛かってしまうであろうエレベーターとエレベーターの間を歩かせ、あの水平に張られたエントランス・ロビーに着かせる。その間、断片的に建物の高さ、奥行き、長さ、幅が現れる。幾つかのシーンが組み合わさって、一つの映画のストーリーが頭の中に出来上がっていくように、ヌーヴェルは建築をシークエンスの集まりとしている。

(後略)

1989年4月19日、ジャン・ヌーヴェルとジャン・ヌーヴェル事務所でシャンペンを飲みながら
玄・ベルトー・進来

(注)図面、文章は「建築文化1989・7月号」より。写真はflickrより