箱物行政という言葉がフランスにもあるかどうか知らないが、日本の箱物行政とはちょっと違うような気がする。利権というよりも自らの権力を誇示するというところはナポレオンの時代からの伝統なのかもしれない。ジョルジュ・ポンピドゥ大統領のポンピドゥ・センター、フランソワ・ミッテラン大統領のグラン・プロジェなどと同様にジャック・シラク大統領もパリ市長時代からの夢であったこの美術館を自らの在任中の一大プロジェクトとしたかったことは間違いない。




それはさておき、この美術館、個人的には好き。現地の日本人に聞いてみたら「ああ、あの原色のやつね」と笑っていた。


ところで展示されているのはプリミティヴ・アートということらしい。美術好きの人にはそうでもないのかもしれないが、あまり聞きなれない言葉なので調べてみた。
以下、引用。
プリミティヴ・アート Primitive Art
西欧の美術史において「プリミティヴィズム」を語る場合、通常中世の宗教美術から子供・精神病者の絵画表現まで多くの「プリミティヴなもの」が立ち現われる。すなわち、プリミティヴ・アートという用語は(1)19世紀末に流行となった非西欧の原始・未開美術、(2)遠近法と解剖学の知識を持たないルネサンス以前の西欧美術、(3)アカデミックな教育を受けていない美術表現(=ナイーヴ・アート)の三つに対して現在でもしばしば混在して使用されているのである。しかし、現在「プリミティヴ・アート」として最もポピュラーな定義は(1)の「先史時代の原始人および現存の部族社会の美術」を指すものであろう。地域によって差異はあるが、その表現規範として「見たもの中心」「正面性」「感情の不可欠性」が挙げられる。また、被創造物とその循環というテーマの表現に視覚的・形式的な美や快が意図されることはなく、抽象表現が心情や知覚の「写実表現」として表わされている点で西欧美術と異なるとされる。19世紀末の列強諸国のアフリカ・オセアニア進出によって母国の民族学博物館にもたらされたこれらの部族美術はフォーヴィズム表現主義の作家たちに大きな影響を与えた。(三本松倫代)
以上、引用。






GA DOCUMENT 93 のジャン・ヌーヴェル特集にこの美術館のことが載っていたので一部紹介。二川由夫氏のインタビューに答えて
JN:ケ・ブランリー美術館の館長からは、建築だけでなく全部引き受けてほしいと頼まれました。サイン、家具、レストランの内装をするように要請された。最近では珍しい、トータル・デザインの仕事でした。僕たちはすべてを決めたのです。
コレクション廻りのデザインもできたという点でも、この美術館のデザインは特別です。美術館の仕事をしていると、時々、内部はどうなっているのか分からない、あるいは、内部をどうするかアイデアがあったとしても、どのように見せるのか、コレクションのどの部分が提示されるのかなどが分からないことがあります。ここでは、僕たちはまさにすべてを知っていました。場所と内部の芸術作品をつなぐことができました。器と中身の間を。
僕にとって、「ケ・ブランリー」に対する主要な姿勢は、この文明が生んだ芸術や工芸の一点一点につながりを提供する特別な空間をつくることでした。つまり、守られた、神秘的で独特な場所に来館者を迎え入れることが非常に重要だったと考えています。白い壁にスタンプのように作品を飾るコンテンポラリー・ミュージアムとはいくつかの点で正反対のものだと言えます。今、美術館はフレキシブルなものになっています。僕たちはその反対をやりました。すべてが前もって考えられ、個別的なものになっています。このやり方でほぼ4,000点の展示品について考えました。

以上、引用。
「ホワイト・キューブはやらなかった。」ということか・・・・・




ご多聞に洩れずこの公共建築でも様々な批判があったらしい。以下、Wikiより引用
ケ・ブランリ美術館建設を巡っては多くの反対や論争に直面した。この美術館のもとになったコレクションは、人類博物館の「研究資料」であったものと、国立アフリカ・オセアニア美術館の「美術品」であったものだが、こうした民族資料を人文科学研究の対象物とみるか、美的観点から展示・鑑賞するかで両者に対立があった。特に人類博物館は研究資料が新美術館へ分散してしまうことや民族資料の扱い方の方針に抵抗し、1999年には職員によるストが起こった。
各民族の作ったものは、ケ・ブランリ美術館が主張するように芸術に属するものか、それとも考古学や民族学の資料に属するものか、また「原始美術」とはどのような時代のどのような地域の人々が作るものかといった基本的な問題についての論争も美術館建設に伴って再燃し、今もなお続いている(たとえば現代のオーストラリアのアボリジニ芸術家による作品が、今のオーストラリアの政治的文化的文脈から出た現代美術としてではなく、原始美術の一種として展示されていることに対するオーストラリア人からの批判)。また世界全域の膨大な民族の品物を等しく展示することはスペースの関係上不可能であるが、自国の文化が軽視されているといった不満もある(たとえばカナダのケベック州の人々は、カナダの展示品がほんの数点しかないことに抗議運動を起こした)。その他、美術館の建設経緯、基本方針、建設費に対する批判も起こった。
以上、引用。














ジャン・ヌーヴェルの愛読書という谷崎潤一郎の「陰翳禮讚」の一部。
諸君はまたそう云う大きな建物の、奥の奥の部屋へ行くと、もう全く外の光りが届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明りの穂先を捉えて、ぽうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明りを投げているのであるが、私は黄金と云うものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う。そして、その前を通り過ぎながら幾度も振り返って見直すことがあるが、正面から側面の方へ歩を移すに随って、金地の紙の表面がゆっくりと大きく底光りする。決してちらちらと忙がしい瞬きをせず、巨人が顔色を変えるように、きらり、と、長い間を置いて光る。時とすると、たった今まで眠ったような鈍い反射をしていた梨地の金が、側面へ廻ると、燃え上るように耀やいているのを発見して、こんなに暗い所でどうしてこれだけの光線を集めることが出来たのかと、不思議に思う。

以上、引用。

基本的にジャン・ヌーヴェルは白黒の世界だと思う。