今日敷地を訪れると、スイス学生会館は多くの建物に囲まれていることに気づく。このパヴィリオンは孤立した建物ではなく、パリ南部の大学都市と呼ばれる国際公園の中に最後に完成した建物なのであり、1920年代の「国家的」イメージを表現した不幸な建物と並んで建っている。

あいにくの曇天だった。




斜めの道路が背後から建物に近づき、その車廻しは1階ラウンジを内包する円弧を描いた砕石の壁面と呼応している。その上部には内部に階段室を持つ凹型の壁面が立ち、学生の個室のあるメインのボックスへの動線となる。




石が仕上げ材として広範囲に用いられており、学生の部屋は全面ガラスのファサードによって運動場に南面し、(ル・コルビジェにとっては当然のように)健康をもたらしてくれる太陽光線と向き合っていた。
(中略)

大学都市は外国人留学生に快適な住まいと国際交流の場を与える目的で1921年に設立された。スイス政府がそこに住居を建設することを決定したのは1920年代末である。ラウル・ラ・ロッシュ(かつてのクライアント)、ジークフリート・ギーディオン(歴史家)、カール・モーザー(スイスの建築家)の推薦を受けてR.フーター(チューリッヒ大学の数学者)がル・コルビジェに正式に設計を依頼した。

ル・コルビュジエ」(C.ジェンクス/著・佐々木宏/訳 鹿島出版)


1階部分はRC、上部はS造。
どうしても、あのピロティをやりたかったということか・・・・・