学生の要望で滋賀県の佐川美術館とミホ・ミュージアムへ。(先週の土曜日のこと)
この時期の国道161号線は渋滞するというので早めに出発したつもりだったがそれでも巻き込まれ11時前に佐川美術館へ到着。企画展は「アルプスの画家 セガンティーニ −光と山−」ということだがこちらの方はどうも疎いのでよく解らない。駆け足で企画展と常設展を見学。佐藤忠良氏の彫刻にはいつも魅せられる。
そのあとはお目当ての樂吉左衛門館。いつ来ても落ち着く。






樂家初代の長次郎(ちょうじろう)は、楽焼の創設者である中国出身の父・あめや(阿米也、飴屋または飴也)と母・比丘尼の間に生まれ、樂家の代名詞ともなる黒釉をかけた茶碗の作製において非常に優れた技量を見せた。 没後、長次郎の妻の祖父・田中宗慶が豊臣秀吉から聚楽第の一字を取った「樂」の黄金の印を与えられた。これが樂家の始まりである。宗慶は千利休と同じ田中姓を持ち、利休にかなり近い存在であったと考えられている。
宗慶とその長男・宗味(長次郎の義父)は樂家の制作活動に深く関わっていたが、前政権の秀吉と親しかったことを慮り、宗慶の次男・常慶(じょうけい)が樂家の2代となった。その後、常慶は初めて吉左衛門を名乗る。本阿弥光悦のとりなしもあって江戸幕府との関係は良好で、芝・増上寺徳川秀忠の墓には常慶作の香炉が埋葬されていた。3代を継いだのは常慶の長男・道入(どうにゅう)である。道入は別名(俗称)・のんこう、またはノンカウとも言われる楽焼の名人で、樂家の釉薬の技法を完成させたとまで言われている。また長次郎以外では唯一吉左衛門を名乗らず、吉兵衛と名乗った。以後、歴代の当主が様々な作品を作り、今日の15代に至っている。



1998年(平成10年)、佐川急便創立40周年を記念して開館した。収蔵作品は、日本画家・平山郁夫と彫刻家・佐藤忠良の作品が中心となっている。2007年9月2日には、十五代樂吉左衞門の陶芸(樂茶碗)作品を展示する「樂吉左衞門館」が敷地内に新館として併設された。他の特筆すべき収蔵品としては国宝の梵鐘がある。
美術館の敷地は大部分が水庭(人工池)になっており、水の上に浮かぶように見える2棟の切妻屋根の展示館(竹中工務店設計・施工)は、そのデザインが高く評価されている。夏季の夜間はライトアップされる。




SMC PENTAX-DA 16-45mm F4 ED AL。このあとのミホ・ミュージアムは次回。


どこかにいって困っていたところ、新聞広告で発見。早速本屋で購入。改めて読み返す。


陰翳礼讃 (中公文庫)

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