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六十年代後半の数年間、私は菊竹氏の下で働く機会を得たのだが、氏の言動は「狂気」に満ちていた。笑顔を絶やさない晩年の菊竹氏を知る人からは、狂気という表現はおよそ想像できないかもしれない。
しかし、当時菊竹氏がオフィスにいると、スタッフは笑い声ひとつ立てることも出来ない緊迫感に包まれていた。徹夜で描き上げた図面を目前で引き裂かれてしまうことすらあった。
当時、建築は理論がすべてに優先すると、考えていた私は、菊竹氏から全身全霊を以って納得できなければ真の建築はあり得ないことを教えられた。だから氏は実施設計が完了し、入札前日にでも納得がいかなければ設計を白紙に戻しかねなかった。

2012年1月10日 読売新聞  「菊竹清訓氏を悼む」伊東豊雄より抜粋
いまどきののCADで描いた図面と違い手描きの図面はバックアップなどない。今の人だったらびっくりするかもしれないがその手描きの図面を、引き裂かれることはそんなになかったにしても(たまにはあった)、原図に赤ペンでダメ出しをされすことはしょっちゅうだった。それはもう一度描けというサインだった。模型を壊されることも・・・・・
菊竹清訓のDNAを受け継ぐ人たち。内井昭蔵、仙田満、伊東豊雄長谷川逸子、富永譲、内藤廣、大江匡、妹島和世城戸崎和佐曽我部昌史ヨコミゾマコト、佐藤光彦、平田晃久・・・・・・

1928 福岡県久留米市に生まれる。
1945 「国鉄久留米駅舎」コンペ1等
1947 「仙台ショッピングセンター」コンペ3等入賞
1948 「広島平和記念カトリック聖堂」コンペ3等入選
1950 早稲田大学理工学部建築学科卒業
   株式会社竹中工務店入社
1951 建築学会主催「テラスハウス」コンペ入選
1952 村野・森建築設計事務所入所
1953 菊竹清訓建築設計事務所開設
1958 自邸「スカイハウス」を計画(実験住宅)
1959 「海上都市」「塔状都市」を『国際建築』誌上に発表
1960 川添登などとメタボリズム・グループを結成
   世界デザイン会議にメンバーとして出席。
1962 チームX第2回会議に丹下健三槇文彦とともに招かれる。 
1963 設計仮説<か・かた・かたち>の方法論を発表。
1963 「国立京都国際会館」コンペ優秀賞
1964 出雲大社庁の舎の設計により、第15回日本建築学会賞
   第14回芸術選奨文部大臣賞、
   第7回汎太平洋賞(AIA)、BCS賞の各賞を受賞し、ハワイにて菊竹清訓展を開催。
1965 東急多摩田園都市開発計画に、チャンネル開発(情報ネットワーク)の計画発表。
1970 日本万国博覧会(大阪)ランドマークタワーで日本建築学会特別賞受賞
1971 アメリカ建築家協会(AIA)特別名誉会員
   ハワイ大学客員教授となり、ハワイ海上都市計画のコアメンバーに招かれる。
1972 田中内閣のもと、日本列島改造問題研究会で経済成長論ばかりの中
   「美し い国土」を委員の中で唯一人提案。
1975 沖縄海洋博で政府出展海上都市「アクアポリス」の空間プロデューサーをつとめる。
1977 文京区基本構想審議会委員
1978 第8回オーギュスト・ペレー賞(UIA)を作品と方法論で受賞
1979 京都信用金庫の一連の作品で第21回毎日芸術賞受賞
1982 日本建築家協会副会長
1985 東京都新都庁舎コンペ審査員
   21世紀をめざした空港の将来像に関する調査委員会委員(運輸省
   科学技術庁 国際科学技術博覧会(つくば'85)マスタープラン作成委員をつとめる。
1988 なら・シルクロード博のハードプロデューサーをつとめる。国際建築アカデミー教授
1989 新日本建築家協会理事
1990 川崎市市民ミュージアムで第31回建築業協会(BCS)賞受賞
1991 国際建築アカデミー(IAA)アカデミシャン・アジア代表
   日本マクロエンジニアリング学会会長
1993 東京建築士会会長
   電力中央研究所有識者会議メンバー
1994 日本建築士会連合会副会長、北京工業大学名誉教授
   フランス建築アカデミー会員
   講談社新社屋の設計にたずさわる。
1995 論文『軸力ドームの理論とデザイン』で早稲田大学より工学博士をうける。
   「北九州メディアドーム」をドーム理論で設計。
   出雲大社庁の舎で平成7年度BELCA賞ロングライフビルディング部門受賞。
1996 長野オリンピック冬季競技大会の空間構成監督をつとめメガ・スタンドを計画。
1997 ワールド・エコノミック・フォーラム(ダボス会議) スイス本部の基本設計。
1998 日本建築士会連合会会長
   MoCA主催の世界巡回展「世紀末建築展」で「海上都市」が出展される。
1999 ポンピドーセンターの要請により「海上都市」の模型とドローイングが、
   コレクションに加えられる。
2000 日本で4番目の国立博物館である九州国立博物館久米設計とのJVにて計画。
   ユーゴスラヴィアビエンナーレで「今世紀を創った世界建築家100人」の一人に選ばれる。
2001 2005年日本国際博覧会総合プロデューサーに就任
2002 日本建築士会連合会名誉会長
2003 日本建築家協会 名誉会員
   クリスタルグローブ大賞(国際建築アカデミーより)
2004 第9回公共建築賞特別賞受賞「島根県立美術館
2006 旭日中綬章 受章
2007 第一回日本建築栄誉賞(日本建築士会連合会)

2010 九州大学客員教授 

関西ではエキスポタワー以外にはあまり馴染みのない人だが、我が京都の京都信用金庫店舗40余りは菊竹氏の設計によるもの。

菊竹清訓 1928年4月1日ー2011年12月26日。ご冥福をお祈りいたします。

代謝建築論―か・かた・かたち

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