1月1日である。
「それで?」という感じだが・・・・・
それでも1月1日ということでとっておきのネタを。
引き続き、「建築文化1989・7月号」より。
アンビルトとなってしまったジャン・ヌーヴェルの「無限大の超高層」のプランが掲載されていた。



引用。
トライアングル・ド・フォリーは、デファンス地区の大アーチのすぐ北西に位置し、最も取り残された所で、哀れにも高速道路と鉄道に挟まれて、ズタズタで、墓場といった光景の郊外地である。近々、オフィスビルが建つ予定になっている。その先にはエミール・マイヨーの子供の塔、アーチ西面、クニトやビュフィの丘陵に残されるはずのものがくる。こうした条件と景観の中で、審査結果は、ジャン・ヌーヴェルの「無限大の超高層」に決まった。
「L ARCHITECTURE D AUJOURD HUI」よりの引用の引用。
フランス語の訳文なので多少わかりにくいところがあるが、とにかくジャン・ヌーヴェルがコンペに勝ったのは間違いない。
外装の仕上げは下から「黒御影石/サンドブラスト仕上」「御影石/アントラシート」「御影石/ダークグレー」「御影石/グレー」「御影石/ミカ」「御影石/グレー鏡面仕上」「アルミキャストパネル」「アルミ鏡面仕上」「SUS鏡面仕上」「ガラス/ハーフミラー」「色ガラス」「ガラスの上ミルク」そして最後に「ガラス」
解りやすい




写真の右下に見えるのが「グラン・アルシュ」
設計はデンマーク人のヨハン・オットー・フォン・スプレケルセンと地元の協同設計者としてポール・アンドリュー。(注:シャルル・ド・ゴール国際空港の設計他)。
アーチの中の「雲」と呼ばれる庇の構造はピーター・ライス。



引用。
ミニマリストな建築であればあるほど、形やディテールの納まり方に対する変更は気になり、難しくなってくる。
このラ・デファンスのアーチは、まず形の上で笠木(注:上の部分)部分にその苦労の跡が見られる。設計者のスプレケルセンの最初のスケッチは、正面から見てキューブの三方が鋭角に終わっているのに、実際竣工した建物は、両側の立ち上がり部分は鋭角に納められているが、空中のプラットフォームに帯状の笠木部分が載ってしまっているのである。
実は、スプレケルセンは三方を同じ納まりにしたかったと同時に、「空に向いているファサード」、つまり屋根面も外側に向けられたファサード同用に、完全にフラットな面にする方針だった。
しかし、エレベーター機械室が、当初のプラットフォームの厚みでは納まらなくなってしまい、そのプラットフォームの厚みを増やす必要に迫られたのである。

以上、引用

スプレケルセンのスケッチ


他に方法はなかったのだろうか。
まっ、見上げだし、そこまで気にする必要がないといえばそれまでだが、言われてみると確かに気になる。





引用。
スプレケルセンの発想をより生かしたという意味で、アーチの中の雲と呼ばれる空中に浮かぶ庇がある。スプレケルセンのスケッチに基づいて、最初は鉄骨柱で地面から支えられたガラス屋根がスタディされたのだが、結果としては、非常に重々しいヴォリュームとなった。これはスプレケルセンが認めていたことであるが、彼がイメージしていた「雲」とは程遠かったのである。この構造がピーターライスと再検討された結果、ワイヤーで引っ張られた構造が考えられた。そしてこの案は、スプレケルセンの最後の選択となった。
これを採用した直後の1987年4月4日に、スプレケルセンは帰らぬ人となってしまったのである。