1928年にル・コルビジェサヴォア邸の設計を依頼された時、彼は自分の建築的ボキャブラリーがほぼ完成されつつあることを自覚していた。彼はア・プリオリな理念によって完璧なまでに武装されていたし、彼の建築原理を世に示したいという野心も持っていた。今までとは異なり、敷地は充分に広いものであった。周囲の建物に接するのではなく、すべての面が開けていた。道路からのアプローチの軸線は遠くの景観を見通す視線と重なっていた。
サヴォア邸に関してル・コルビジェは後に「古代に関しても現代に関しても全く先入観を持たない」建物と述べている。施主が望んでいたのは車庫スペース・予備の寝室・管理人小屋を含めた比較的小さなプログラムによる現代的な夏の家であり、それが彼らの社会的地位を示すことであった。ル・コルビジェはほとんど白紙の状態といってよい敷地の中に彼自身の境界を設定しなくてはならなかったのである。
ル・コルビジェは最終案のアイデアをかなり早い時期に思いついていたが、1928年の秋から1929年の春にかけて一連のスタディを続けた後に、ほぼ最初の案に戻ってきたようだ。


ル・コルビュジエ」(C.ジェンクス/著・佐々木宏/訳 鹿島出版)より




あの、管理人小屋もコルビジェだったのか・・・・・


建築的プロムナード・・・・・